Modern Jazz (Be Bop Jazz)


 1940年代の初めに、ハーレムの『ミントンズ・プレイハウス』や、ミッドタウンの52丁目で、意欲に燃える若手・中堅の黒人ミュージシャンが
集まり、ジャム・セッション "Jam sesstion"(予め用意したアレンジを使わず、ミュージシャン達が即興的に演奏する)が行われました。
類似語として"アドリブ" や "インプロヴィゼーション" があります。

そのなかから新しい ビ・バップ "Be Bop" が生まれました。中心人物はチャーリー・クリスチャン、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、ケニー・クラーク、セロニアス・モンク等でした。
彼らは、スタンダードのコード・アレンジを活用して次々に新曲を作り、コード・アレンジによってアドリブの可能性を高め、三連音符の多用により
スピード感を出し、華やかで派手な演奏を行いました。

 『ミントン・ハウスでのチャーリー・クリスチャン』の演奏を聴くと、ビバップの創造過程がうかがえます。そのなかで一番重要なプレイが、
「ストンピン・アット・ザ・サヴォイ」で、このなかのチャーリー・クリスチャンのソロには、ディジー・ガレスピーの「ソルト・ピーナッツ」の
原型も出ています。

  チャーリー・パーカーは、カンザス生まれで、マクシャン・バンドの出身者で、彼は「ビ・バップは、中西部のビートとニューヨークのスピード感が合体したジャズ」と言っています。また彼は、ジャズは人間の生き方であるといい、現代人として自ら感じ取り演奏するなかで、言葉にだしたことと、その行動が同じであることを目指していました。 ビ・バップは、バド・パウエル(ピアノ)、デクスター・ゴードン(サックス)等の、それぞれの楽器の名手を生み、白人にも大きな影響を与えました。

  1940年の後半には、ウディ・ハーマン、スタン・ケントン、ジーン・クルーパ等、白人のビッグ・バンドもモダン化し、ビ・バップや進歩的な
ジャズを演奏するようになりました。 コンボ派では、レニー・トリスターノ、リー・コニッツ、スタン・ゲッツ等で、クール派(ホットなビ・バップに対し、ノン・ビブラートで抑制的な奏法をとり、簡潔なウエスト・コースト・ジャズへと引き継がれる)を生みました。
ビ・バップは、1950年代の前半まで栄えますが、1955年3月12日のバード(チャーリー・パーカー)の死によって終わったといえます。

出典元:JAZZこだわりCD668 一部引用