Chicago Jazz


ジャズは、アメリカで歓楽街と大都市を目指して北上して行きます。

ジャズ・ロードの一本の道は Mississippi 河を北上し Chicago へと進みました。
また、西海岸の California 州の Los Angeles へも進出しました。

もう一本の道は、その後1930年代には中西部の Kansas City に到達します。
そして、最終的なジャズのメッカとなったのが New York City です。

ジャズでは、ブルースも重要な要素となりました。
Alabama 州に生まれた黒人ミュージシャンのW・C・ハンディは、楽譜に強い才能を活かして演奏のかたわら自分の作品と共に、1912年に
『メンフィス・ブルース』を、1914年には『セントルイス・ブルース』を出版しています。

Chicago Jazz が最も栄えたのは、1920年代です。
キング・オリヴァーやルイ・アームストロングもシカゴに進出しました。
シカゴで New Orleans Jazz が盛んに演奏されました。
この時代に、マミー・スミスやベッシー・スミスなどの黒人女性のブルース歌手のレコードがヒットしました。

1920年代後半には、黒人ミュージシャンの影響を受け、白人中心のいわゆる Chicago Jazz が誕生します。
この中で、白人ミュージシャンであるベニー・グッドマンが活躍し、ジャズは人種音楽 (race music) であることの壁を乗り越え、アメリカの
エンターテインメントに成長します。
アンサンブルはディキシー風ですが、ソロの部分が次第に長くなり、後の Swing Jazz へと進んで行きます。

出典元:JazzこだわりCD668より一部引用


キング・オリヴァー(Joe "King" Oliver)1885年-1938年


キング・オリヴァーはルイ・アームストロングの師匠だったことでも有名です。
コルネット奏者で1922年に "King Oliver's Creole Jazz Band" をシカゴで結成しました。
その時にルイ・アームストロングを ニューオリンズから呼びよせました。
"King Oliver's Jazz Band", "King Oliver's Orchestra" などのバンドも作っています。

左端にルイ・アームストロングが写っています。右端の女性は Lillian Hardin(ピアノ)で、1924年にルイ・アームストロングと結婚しました。彼は2度目の結婚になります。
彼女はインテリジェントに大変あふれる人で、このバンドの作曲・アレンジを
していました。

出典元: zsons.comより画像と一部引用